ビュクリュカレ

松村 公仁 アナトリア考古学研究所研究員

遺跡の概要

ビュクリュカレ遺跡はトルコの首都アンカラの南東約65km、アンカラからカマンに向かう道がトルコ最長のクズルウルマック河を渡河する所に位置しています。そこは現在と同様昔から交通の要衝だったと考えられます。

ビュクリュカレ遺跡

ビュクリュカレ遺跡(2008年度)

1991年、2006年に中央アナトリアの考古学的一般調査の一環としてこの遺跡でも表採調査を行いました。この遺跡はクズルウルマック河の脇にある岩山の上に大型の建築物があり、それを取り囲む形で周辺に都市が形成されています。表採した土器片からこの遺跡が前2千年紀の後半、ヒッタイト帝国時代の都市であることも判りました。

カマン・カレホユック遺跡ではこのヒッタイト帝国時代の層が薄く、なおかつ鉄器時代の居住によって破壊されていることから、これまでの目標であった中央アナトリアの文化編年を確立する上で充分な資料が得られないという問題点がありました。このビュクリュカレ遺跡はカマン・カレホユック遺跡の成果を補ってくれる遺跡です。

2008年の予備調査では地形測量、磁気探査、遺物表採作業、気球による空撮を行いました。その結果岩山の頂上部に露出していた大きな礎石を用いた建築遺構が頂上部全体に広がっていることを確認することが出来ました。地形測量の際には河に沿って高さ2 mを超える大型の石で築いた石列が新たに見つかっています。

ビュクリュカレ遺跡石列

頂上部の石列

表採遺物は岩山の頂上部では多量のヒッタイト帝国期の土器片に混じって灰色土器のような鉄器時代後半の土器片も採集され、ヒッタイト帝国期の大きな石を用いた大遺構の上に薄く前1千年期の文化層が存在していることが推測出来ます。今年度の表採品の中にはリディア王国の首都サルディスに特徴的な鳥の文様を持った土器片が一点見つかっており、ビュクリュカレ遺跡はアナトリアの文化の影響を受けていたものと思われます。

岩山の周辺に広がる都市は表採した土器片、そしてその分布からヒッタイト帝国期の単層の都市であり、直径約500mにも及ぶ都市であったことも明らかになってきています。

このようにビュクリュカレ遺跡は当初の予想通りカマン・カレホユック遺跡の文化編年を補うヒッタイト帝国期の遺跡であることはほぼ間違いありません。