ビュクリュカレ

松村 公仁 アナトリア考古学研究所研究員

第2、第3次ビュクリュカレ発掘調査(2010-2011年)(写真1)

写真1:ビュクリュカレ遺跡

写真1:ビュクリュカレ遺跡

2010、2011年度の発掘調査の目的は以下の通りです。

1.2009年度遺跡頂上部において確認されたヒッタイト帝国時代のテラス壁の調査解明。
2.そのテラス壁につながるヒッタイト帝国時代の火災層の調査解明。

ヒッタイト帝国時代のテラス壁

2009年度確認された、巨石作りの6.5mの高さを持つテラス壁を2010年度には10mx10mのグリッド(N2E1, N1E1)を2つ設定し発掘を行いました。その結果約4.5m掘り下げたところでテラス壁が用いられた最後の時期に属すると考えられる面が確認されました。この面の下には2m程にわたって薄い灰層が何枚も重なっており、このテラス壁が長期間使用されたことを示しています(写真2)。

写真2:テラス壁

写真2:テラス壁

2011年度にはこのテラス壁の続きを調査しました。その結果巨石を用いたテラス壁の角を確認することが出来ました。このことから巨石テラス壁は大型建築物の一部であることが理解できました。今後この大型建築物の機能を理解するための調査を継続する予定です(写真3)。

写真3:テラス壁と大型建築物

写真3:テラス壁と大型建築物

写真4:粘土板文書片

写真4:粘土板文書片

テラス壁外側の堆積土上層からはヒッタイト帝国時代の楔形文字粘土板文書片が出土しました。粘土板の出土した層は昨年度確認されたオスマン時代の堀込み式の建築物を建てるためにヒッタイト帝国時代の火災層を掘り込んだ際に出た廃土と考えられ、粘土板文書はこのヒッタイト帝国時代の火災層に含まれていたものと推測しています。この文書は手紙の形式をとっており、ヒッタイトの大王がヒッタイト領土外の国に送ったものと考えられます。このような外交文書が出土したことはビュクリュカレ遺跡がきわめて重要なヒッタイト帝国都市であったことを示唆しています(写真4)。

ヒッタイト帝国時代の火災層

2009年度発掘したグリッド(N2E0)では、ヒッタイト帝国時代の火災層を発掘しました。日干し煉瓦の壁と、それに伴う鶏の卵大の小礫が敷き詰められた上に板状に成形された木材が敷かれた床面が検出されました。この続きを明らかにするため、その西側に発掘区(N2W1)を設定し調査を行いました。オスマン時代、後期鉄器時代の建築層の下に存在するヒッタイト帝国時代の火災層の発掘では真っ赤に焼けた日干しれんがの壁で構成された部屋が姿を現しました(写真5)。床面の直上には屋根に用いられていたであろう拳大の礫が層状に堆積しており、その礫の間からヒッタイトの遺跡ではきわめて稀なガラス製の容器片と円形ペンダントが各一点出土しました(写真6a,b)。ガラス製容器は北メソポタミアのヌズィ、アッシュール等で出土しており、ミタンニ王国との関係が指摘されています。またガラス製円形ペンダントはイシュタール神のシンボルと考えられており、実際ヌズィ遺跡ではイシュタール神殿から出土しています。ヒッタイト文書にはガラスの製法に関するものも確認されており、ヒッタイト帝国におけるガラス生産問題に関しても何らかの貢献ができるのではと期待しています。

写真5:発掘区(N2W1)

写真5:発掘区(N2W1)

写真6a:ガラス製の容器片

写真6a:ガラス製の容器片

写真6b:円形ペンダント

写真6b:円形ペンダント

写真7:土器片

写真7:土器片

2011年度にはこの火災層を調査するためさらに南側に発掘区を設定し調査しました。ここでは2mに近いオスマン、ヘレニズム、後期鉄器時代の文化層が確認されたため、ヒッタイト帝国時代の火災層の発掘は次年度に持ち越しとなりました。しかしながらオスマン時代の堀込み式の住居群、ヘレニズム時代の土器等が発掘され(写真7)、ビュクリュカレ遺跡のヒッタイト以降の歴史がより詳細に理解されてきました。


第3次ビュクリュカレ発掘調査経過報告(2011年)

発掘状況

発掘状況

土器出土状況

土器出土状況

調査は既に予定の半分が経過しました。

本年度新たに設定した発掘区では第2層ヘレニズム時代の建築遺構が出土し、それを壊して第1層イスラム時代の堀込み式の建築遺構が作られていました。ヘレニズム時代の建築遺構の下にはさらに後期鉄器時代の建築層が厚く堆積しています。その下にはヒッタイト時代の建築機構の礎石が顔をのぞかせています。

発掘状況

発掘状況

昨年発掘した区では城壁の内側部分を発掘したところ昨年ガラス製品が出土した焼失建築遺構の礎石が確認され、これがその下にある別の焼土層を掘り込んで設置されていることを確認しました。このことから城壁はさらに古い時代、おそらく古ヒッタイト時代に作られ、火災に遭った後再建されたことが理解されます。

発掘作業の様子

発掘作業の様子


第3次ビュクリュカレ遺跡発掘調査(2011年)を開始しました

ビュクリュカレ発掘開始2011

ビュクリュカレ遺跡発掘調査開始(2011年)

2011年度ビュクリュカレ遺跡発掘調査を5月9日に開始しました。本年度は昨年確認されたヒッタイト帝国時代の城壁と火災を受けた建築遺構の調査を継続し、城壁の構造、建物の機能解明に努めます。発掘調査は6月末までを予定しています。

作業の様子

作業の様子

ビュクルカレ発掘開始2011

ビュクリュカレ遺跡発掘調査開始(2011)