カマン・カレホユック

大村 幸弘 アナトリア考古学研究所長

第31次カマン・カレホユック発掘調査(2016年)

はじめに

第31次カマン・カレホユック発掘調査は、6月28日〜9月8日まで行いました。査察官としてカマン・カレホユック考古学博物館の学芸員のペンペ・アクソイ、また、トルコ側から副隊長としてコチ大学のチーデム・マウエル准教授が派遣されました。発掘記期間中には、70名を超す隊員と共にアナトリア考古学研究所のあるチャウルカン村から50名を超す労働者を採用しました。

調査目的

カマン・カレホユックの発掘調査の主目的は、「文化編年の構築」です。第31次カマン・カレホユック発掘調査の目的は、二つありました。一つは、既述しましたように、北区で「文化編年の構築」です。今一つは南区で「前2千年紀後半から初期鉄器時代の間に文化的関連性があるか否か」の解明を今シーズンの目的としました。

図1:2016年発掘区[クリックで拡大]

図1:2016年発掘区[クリックで拡大]

発掘区

カマン・カレホユックには3発掘区、北区、南区、城塞区があります。今シーズンの発掘調査は、北区と南区で行いました。

北区では、XVIII〜XX区、XXXIV区、III〜VII区の二カ所、南区では、I、III、XXI〜XXII、XXVII〜XXVIII、XXX、XXXII、XXXIV、LVI〜LVIII区の発掘区で調査を行ないました(図1)。発掘調査に入る前には、各発掘区のクリーニングを行ないましたが、北区は保護屋根を架けていたこともあり、建築遺構、断面などの保存状態は極めて良好でした。

北区の建築遺構

2016年、北区の発掘調査は二カ所で行いました。後期鉄器時代から前期鉄器時代にかけての調査は、XVIII〜XX、XXXIV区で行い、また、前期青銅器時代の調査は、カマン・カレホユックの最深部であるIII〜VII区で行いました。

1. 後期鉄器時代〜中期鉄器時代
XVIII〜XX、XXXIV区

これらの発掘区では、前半は後期鉄器時代の建築遺構の調査を行いました。この数年の調査では、第IIa層の後期鉄器時代、第IIc層の中期鉄器時代、そして第IId層の前期鉄器時代の3文化層を検出しています。

XIX〜XX区で確認されている第IIa層の建築遺構は、数度の建て替えが行われていたことが明らかとなっています。それに合わせての床の張り替えも確認されていますが、一部の石壁は、第IIc層から第IIa層にかけて使用されたていたことが調査の結果として明らかとなりました。

写真1:第IIa層の城塞[クリックで拡大]

写真1:第IIa層の城塞[クリックで拡大]

XXXIV区では、第IIa層の城塞の調査を行いました(写1)。これはXIX〜XX区で確認されている第IIa層、第IIc層の建築遺構が、城塞が建築される際に削られたか否かについて解明することを目的としました。その結果、城塞によって、XIX〜XX区の第IIa層、第IIc層の建築遺構は、城塞が組まれる際に大きく除かれたことが明らかとなりました。このことから城塞に帰属するXIX〜XX区の建築遺構は、2014〜2016年に確認されている建築遺構直上に位置する建築遺構と考えることが出来ます。

2. 前期鉄器時代
XVIII〜XIX区

XVIII区の建築遺構は、前期鉄器時代、前11〜9世紀頃に年代付けられます。ここ数年、第IId層の建築遺構、ピットの精査を行っています。第IId層のR453は、2014〜2015年にかけて調査を行いましたが、建築遺構の残存状態不良にも関わらず残存していた床面にはin situの状態で、第IId層特有の土器が検出されています。このR453は火災を受けていましたが、今シーズンは、その火災を追う形でXVIII区の調査を進めました。2015年の調査と同様、多くのピットが確認されています。これらのピットは、第IId層の建築遺構に切り込んだ形を採っていることから、第IId層直上、つまり第IIa層のものと考えることができます。

写真2:XVIII区ピット群[クリックで拡大]

写真2:XVIII区ピット群[クリックで拡大]

第IId層の火災を受けた面は、発掘区の途中で消滅しています。XIX区で再び第IId層の火災層が確認されていることを考えますと、XVIII区で火災層が消滅した背景には、P3410、P3411、PP3403、P3404等数多くのピットがあげられます(写2)。

XIX区では、既述しましたように発掘区の南西部分で第IId層の火災層が確認されています。この火災層も発掘区の北西から南東にかけてピット群によって切られていることが明らかとなっています。

写真3:第IIc層の彩文土器[クリックで拡大]

写真3:第IIc層の彩文土器[クリックで拡大]

XIX〜XX区にかけては、2013〜2015年、第IIa層のR451、R454後期鉄器時代の建築遺構を確認、調査を続けてきていますが、2016年の調査ではこれらの建築遺構の床面を取り外したものの、両建築遺構の壁は下方へと続いていることが明らかとなり、新たに床面が確認されました。この床面に帰属する形で第IIc層に年代付けられる彩文土器(写3)が出土しました。この第IIc層の建築遺構の直下には、第IId層の火災層がIII〜VIII区の東セクションで確認されています。

3. 前期青銅器時代
IV〜VII区

これらの発掘区では前3千年紀の前期青銅器時代の調査を進めています。V〜VII区には第IIIc層、アッシリア商業植民地時代の南北に走る建築遺構が1998〜1999年に出土しており、基本的プランは崩さないまま数度の建て替えが行われていることが調査で明らかとなっていました。

写真4:R448[クリックで拡大]

写真4:R448[クリックで拡大]

この南北に走る大形建築遺構をほぼ完全に取り外したのが、2015年の段階です。大形建築遺構を取り除き、初めて前期青銅器時代の文化層に入ることができました。前期青銅器時代に入ったと同時に数多くの手捏ね製の土器が出土し、明確に中期青銅器時代が終了し前期青銅器時代に入ったことが明らかになりました。

写真5:R448[クリックで拡大]

写真5:R448[クリックで拡大]

2016年、前年度、IV区で確認されたR448の取り外しを行いました。この建築遺構はこれまで確認した前期青銅器時代のものとしては最も保存状態良好のものでした(写4)。今シーズンは、R448の床面、建築遺構の中央部に設置されていた炉址を取り外しましたが、その直下で新たに別の床面を確認しました。その床面からは、P3453、P3454、P3456、P3457が検出されていますが、これらのピットは総て柱穴の可能性が高いものです。ピット内には炭化物が確認されていますし、なかには柱穴の底部には石が設置されているものもありました。この新たに検出された床面も強い火災を受けていました(写5)。また、R448の中央部からはH364が確認されています。この炉址の床面を取り外したところ、びっしりと土器片を張られているのが明らかとなりました(写6)。その土器片の中には、前3千年紀の第四四半期に年代付けられるアリシャル第III様式の彩文土器が検出されました(写7)。炉址の床面下に土器片が張られているものは、前期〜中期青銅器時代の建築遺構内、あるいはその側で数多く見られるものです。中には小石が敷かれているものもあります。土器片にしても小石にしても保温の機能を持ち合わせていたものと考えられます。

写真6:H364 / 写真7:アリシャル第III様式の彩文土器<br />[クリックで拡大]

写真6:H364 / 写真7:アリシャル第III様式の彩文土器
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2015年の調査で、このR448の北側で強い火災を受けたR450を確認していました。このR450の床面直上からは、in situで土器、炭化した大量の小麦が検出されていましたが、R448の北壁であるW36直下にR450が潜り込んでいると推測が立てられていました。2016年の調査では、R448の床面直下で検出されたH364と柱穴を含む強い火災を受けた床面は、R450の床面とほぼ同レベルであり、同時期の遺構であることが明らかとなりました。このことからR450が火災を受けた後、一部地ならしがなされR448が設置されたものと考えられます。

写真8:P3351[クリックで拡大]

写真8:P3351[クリックで拡大]

VI区では、2015年の調査でP3351が検出されていましたが、そのP3351の床面からは強い火災を受け東西に走る壁が確認されています(写8)。その壁は拳大の石で組まれており、火災の影響で石壁を構築する際に用いられた泥漆喰は白色化していました。この石壁を覆う形で検出されている火災層は、果たしてIV〜V区の火災層と結び付くものか否かを今後の調査で考える必要があります。来シーズンは、この火災層を追う形でIV区での調査を進めたいと考えております。

写真9:IV区の西セクション[クリックで拡大]

写真9:IV区の西セクション[クリックで拡大]

今シーズンの調査で明確になったことは、カマン・カレホユックの前期青銅器時代の中心部、つまり当時の最高部がIV区であることが明らかとなったことです。III〜VII区にある発掘区の西セクションで、前期青銅器時代の火災層を観察すると、明らかにIV区で確認された火災層は、南側と北側へ向かって下降していることが明らかとなっています(写9)。

南区の建築遺構

南区では、I、III、XXI〜XXII、XXVIII、XXX、XXXII、XXXIV、LVI〜LVIII区で調査を行いました(図1)。南区では、後期鉄器時代、前期鉄器時代、後期青銅器時代の遺構の調査を行いました。

1. 後期鉄器時代
I、III、XXI、XXII、XXVIII、XXX区

南区のどの発掘区でも後期鉄器時代の第IIa層の建築遺構が確認されています。第IIa層の第1建築層の建築遺構は、第Ia層のオスマン帝国時代の半地下式の建築が構築される際にかなり破壊を受けています。

I区では、第IIa層のピットが数多く確認されました。これらのピット群により、III区で検出されているR232の西側の部分がほとんど破壊されています。

III区では、第IIa層の調査を行いました。I、III区は、1987年に設置、第Ia層、第IIa層の建築遺構が確認されています。2014〜2016年の調査では、以前に確認された第IIa層の総ての建築遺構を取り外し、新たに第IIa層に年代付けられるR232の建築遺構を確認しました。

写真10:P1403[クリックで拡大]

写真10:P1403[クリックで拡大]

XXI区では、第IIa層の建築遺構を取り外したところ、その直下からも第IIa層のピット群、短い石壁等が検出されましたが、ピット群の中でP1386、P1403内からは犬を埋葬されたと考えられる遺構が認められました(写10)。このような犬の埋葬は、南区の後期鉄器時代、つまり第IIa層でも後半に年代付けられます。このような犬の埋葬には、ピット内に多くの石が詰め込まれているのが特徴です。

XXII区では、P1423をはじめとして多くのピットが確認されていますが、P1423内からは復元可能な四点の土器が出土しています。それらの多くは灰色土器で後期鉄器時代に年代付けられるものです。

2. 前期鉄器時代
XXVII、LVII、LVIII、XXXII、XXXIV区

これらの5発掘区では前期鉄器時代の調査を進めました。前期鉄器時代は、第IId層、炭化物の分析により前11〜9世紀に年代付けられています。これまでの調査で、南区では7建築層が確認されています。この7建築層の中で、第3、5、6建築層は火災を受けています。これらの火災層が第IId層の層序を考察する上では一つの手掛かりになっています。

この第IId層の建築遺構の直上には中期鉄器時代の第IIc層の建築遺構が位置しています。その第IIc層の第2建築層の建築形態が半地下形式を採っており、それによって第IId層の建築遺構の多くは破壊されています。

LVIII区

LVIII区では、W56、W58の石壁によって構築され強い火災を受けているR233が検出されています。R233のW58の側からはP1448の柱穴が確認されています。柱穴は、第IIc層の第2建築層の半地下式、また第IId層の各建築層で多用されております。これは前期〜中期鉄器時代の建築技法の特徴の一つと云えます。さらにこのR233の南側にも床面が検出されています。その床面をR231として調査を行いましたが、数多くのピットによってR231の床面の殆どが破壊されており、明確な建築プランを確認することは出来ませんでした。このR233の北側の部分は、LVII区で検出されている第IId層の第6建築層-R170によって破壊されています。そのことを考慮しますと、R233はR170より一時期古いことになります。つまり、建築層としては、R233は第IId層の第7建築層に位置付けられることになります。

XXXII区

この発掘区では、第IId層の第4建築層に年代付けられるR172、さらに第IId層の第5建築層に年代付けられるR171の調査を行いました。これらR172、R171の直下に位置しているR230を明らかにするために、二つの建築遺構R171、R172の取り外しを行いました。このR230も火災を受けておりましたが、第IIc層のR138等によってかなりの部分が破壊を受けていることが明らかとなりました。R230は、R171の直下に位置していることを考えますと、第IId層の第6建築層に位置付けられます。

3. 後期青銅器時代
XXXII、XXXIV、LVI〜LVII区
写真11:LVI区 W43〜W47[クリックで拡大]

写真11:LVI区 W43〜W47[クリックで拡大]

後期青銅器時代は、カマン・カレホユックの第IIIa層に年代付けられます。2014〜2015年の調査では、後期青銅器時代の建築遺構は、LI〜LII区で確認されています。この2発掘区で検出された建築遺構は、それらの建築遺構の直上で確認されている第IId層の直下で認められたものでした。これらを第IIIa層、つまり後期青銅器時代のものとして年代付けた背景には、出土遺物があります。それと第IId層の建築遺構と、第IIIa層は全く違う構造を持ち合わせていました。両者間には歴然とした差異が認められます。これらの第IIIa層の建築遺構が、数多くの大形のピットによってかなりの破壊が認められましたが、このピット群を第IId層に帰属させるべきかはまだ解決出来ていません。

写真12:印影[クリックで拡大]

写真12:印影[クリックで拡大]

LVI区

LVI区では、2014年の調査で第IId層の第7建築層に年代付けられる回廊遺構が確認されています。その遺構を取り外したところで数多くのピットが確認されています。これらのピット内からは後期青銅器時代、あるいは中期青銅器時代の印影、印章等が出土しています。この発掘区では、W43〜W47を検出しています(写11)。何れもピットによって切られており、明確な建築プランを示すものではありませんでした。ピット内からは中期青銅器時代、後期青銅器時代に年代付けられる印影(写12)、印章、石壁を掘り下げる際に後期青銅器時代の土器が数多く出土しています。このW43〜W47は何れも平地式を採っており、第IId層で見られる柱穴、半地下式は認められませんでした。

写真13:XXXII、XXXIV区[クリックで拡大]

写真13:XXXII、XXXIV区 W37、W43
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XXXII、XXXIV、XXVII区

これらの3発掘区では、第IId層の建築遺構が検出されていましたが、それらを取り外したところで、XXXII、XXXIV区で南北に走る石壁、W37、W43が検出されています(写13)。このW37の東側で石敷きの遺構が確認されています。この石敷きの遺構上でヒッタイト帝国時代の土器がin situの状態で出土しています。また、このW37からは西側へW39、XXXII区で東側へW44が出土しています。W37とW39、あるいはW39の北側で床面の検出を試みましたが、何れの場所でも数多くのピットが見つかり、今シーズンはそのピットを掘り上げることに重点を置きました。来シーズンは、ピットを掘り上げた後に第IIIa層の建築遺構の発掘に取り掛かる予定です。

出土遺物

写真14:灰色土器[クリックで拡大]

写真14:灰色土器[クリックで拡大]

今シーズン出土した主な遺物は、下記の通りです。

後期鉄器時代の遺物は、南区で数多く出土しています。特に、ピット内からは復元可能な灰色土器が出土しています(写14)。この他にも土製紡錘車が数多く出土しています(写15)。また、用途不明のガラス製品が一点出土しています(写16)。

中期〜前期鉄器時代からは、土製紡錘車、また鹿文が施された彩文土器(写17)等が北区のXVIII〜XX区出土しています。

写真15:土製紡錘車[クリックで拡大]

写真15:土製紡錘車[クリックで拡大]

写真16:ガラス製品[クリックで拡大]

写真16:ガラス製品[クリックで拡大]

後期青銅器時代の文化層からは、印影、印章、土器、青銅製針、ピン等が出土しています。特に、印影の中には、「王」を示すヒエログリフが認められます(写18)。

中期青銅器時代に年代付けられるものとしては、印影、土器、青銅製ピン、青銅製錐、石製砥石等が出土しています。

写真17:鹿文が施された彩文土器[クリックで拡大]

写真17:彩文土器(鹿文)[クリックで拡大]

写真18:印影[クリックで拡大]

写真18:印影[クリックで拡大]

前期青銅器時代からは、無文土器(写19)、彩文土器、土製紡錘車(写20)、骨角製品、青銅製ピン等が確認されています。

これらの他に、人骨、獣骨、植物遺存体、炭化物等が各層から数多く出土しています。

写真19:無文土器[クリックで拡大]

写真19:無文土器[クリックで拡大]

写真20:土製紡錘車[クリックで拡大]

写真20:土製紡錘車[クリックで拡大]

収蔵庫

写真21:収蔵庫[クリックで拡大]

写真21:収蔵庫[クリックで拡大]

今シーズンは、発掘調査終了後、査察官が中心となり博物館に納める遺物の選別をしました。83点が選別されましたが、その他に展示には叶わないが少なくとも修復したことによってその可能性のあるものも120点選別され、それらも博物館に納めました。その他にも人骨、獣骨、土器片、植物遺存体、炭化物など数多くの出土遺物がありますが、それらはアナトリア考古学研究所の収蔵庫に保管しています(写21)。特に、出土遺物は発掘区毎、層序別、さらに種類別、土器等は部位別に分類し、収蔵庫に納めました。また、発掘調査後に復元が施された土器等は、順次カマン・カレホユック考古学博物館へ収蔵されています。現在、それらの資料が容易に取り出すことが出来るようにシステムを考案中です。

遺跡保存

写真22:保護屋根[クリックで拡大]

写真22:遺跡(保護屋根あり)[クリックで拡大]

第31次カマン・カレホユック発掘調査は、9月初旬に終了しましたが、出土した建築遺構を保護するために、仮設の保護屋根を架ける作業を行いました。

保護屋根を架ける作業には、発掘調査を行っている労働者が中心になり、北区は約10日間で完了しました(写22)。南区は、ジオテックスで遺構、発掘区のコーナー等を覆い保存しました。保護屋根を架けることによって、建築遺構等の保存は可能ですが、長期的に保存するとなると新たに別の保存方法を考案する必要があるかと思います。

謝辞

第31次カマン・カレホユック発掘調査は、文部科学省、出光文化福祉財団、JKA、住友財団、文化財保護・芸術助成財団、関記念財団からの助成によって進めることが出来ました。誌上を借りて厚くお礼を申し上げます。



第31次カマン・カレホユック発掘調査(2016年)途中経過2

北区 ピット群と前期青銅器時代の建築遺構

北区 ピット群と前期青銅器時代の建築遺構

第31次カマン・カレホユック発掘調査も終盤に入りました。北区、南区でも予想以上の成果が出ているのが何よりです。北区では、ここ数年、前期青銅器時代(前3千年紀)の文化層の発掘を集中的に行っています。いたるところでピットが確認されていますが、それと同時にそのピット群に切られた形で幾つかの建築遺構が確認されていますし、今シーズン出土した建築遺構の床面からは比較的大きめの瓶形の土器が2点出土しました。また、南区では、初期鉄器時代がほぼ完掘し前2千年紀の文化層に入りました。ここでも驚くほどの数のピット群が顔を出し始めており、それに切られる形で前2千年紀の建築遺構が出土し始めています。この建築遺構が果たして前2千年紀の何時頃のものなのかは現在大いに討論をしているところです。ピット内からは幾つもヒエログリフ付きの印影が出土していることなどを考えますと、この建築遺構はヒッタイト古王国時代かヒッタイト帝国時代に年代付けられると思います。調査も最終段階になりますと、出土遺物を博物館に納める作業があります。納める前に、遺物の実測、撮影があり研究所の中は今大忙しというところです。(2016年9月5日)(大村幸弘)

南区 ピット群と前2千年紀の建築遺構

南区 ピット群と前2千年紀の建築遺構


第31次カマン・カレホユック発掘調査(2016年)途中経過

カマン・カレホユック2016年

カマン・カレホユック遺跡

第31次カマン・カレホユック発掘調査は、7月のシェケルバイラム(砂糖祭)の後に本格化し、現在、北区と南区で盛んに作業を行っているところです。特に、ここ一ヶ月で、北区では前期青銅器時代後半の火災層を中心に発掘を行っておりますし、南区では前2千年紀後半、ヒッタイト帝国時代のものと考えられる建築遺構に焦点を合わせ調査を進めています。前者の火災層を中心とした発掘調査では、前期青銅器時代後半に年代付けられるアリシャル第3様式土器、インターメディアット土器等の彩文土器がかなりの数で出土していることが注目されます。これからの作業は前期青銅器時代の建築層を明確にするとともに、今後は出土した彩文土器を建築層ごとに分類する作業を行いたいと考えています。また、南区で確認されている前2千年紀後半、つまりヒッタイト帝国時代の建築遺構がかなり広範囲に渡っていることがこの一ヶ月の調査で明らかになってきています。今シーズンは、南区における帝国時代の建築遺構の全体像を把握することに集中したいと考えています。

カマン・カレホユック2016年

発掘作業

カマン・カレホユック2016年

北区

カマン・カレホユック2016年

発掘作業

カマン・カレホユック2016年

北区

カマン・カレホユック2016年

南区

カマン・カレホユック2016年

発掘作業

7月後半から8月初旬にかけて気温が上昇、かなり厳しい暑さに見舞われていますが、早朝は10度前後と何か秋の気配を感じさせるほどの涼しさです。(2016年8月9日)(大村幸弘)


第31次カマン・カレホユック発掘調査(2016年)開始

カマン・カレホユック2016年

発掘現場作業員募集の様子

カマン・カレホユック2016年

発掘調査初日

第31次カマン・カレホユック発掘調査が始まりました。6月23日〜7月1日まで北区を保護していた屋根を取り外す作業を行いました。保護屋根をかけていたこともあり、これまでの調査で出土した建築遺構、断面の保存状態は良好で一安心しました。7月4日、一ヶ月続いていたラマザン(断食月)が終わり、シェケルバイラム(砂糖祭)が始まり、研究所のあるチャウルカン村も大賑わい。発掘現場の作業もバイラムに合わせて休みに入りました。7月11日から作業を再開、現在北区と南区の2発掘区で調査を行っています。北区では、一番深い箇所で前期青銅器時代、南区では初期鉄器時代とヒッタイト帝国時代、アッシリア商業植民地時代を調査中です。日中の暑さも35度前後とアナトリア高原も本格的真夏を迎えたようで、連日快晴が続いています。(2016年7月14日)(大村幸弘)

カマン・カレホユック2016年

クリーニング作業

カマン・カレホユック2016年

クリーニング作業

カマン・カレホユック2016年

クリーニング作業

カマン・カレホユック2016年

クリーニング作業