カマン・カレホユック

大村 幸弘 アナトリア考古学研究所長

第23次カマン・カレホユック発掘調査(2008年)

5月下旬に遺跡の保護屋根を外し、6月から10月初旬にかけて発掘区のクリーニング、発掘作業、遺物の整理、保護屋根の再架設を行いました。また、気球による遺跡撮影も行いました。 カマン・カレホユックの発掘調査は北区では『文化編年の構築』、南区では『鉄器時代の集落形態の把握』を目的として進められています。

カマン・カレホユック北区2008年発掘終了時

今年度発掘終了時の北区の様子.
手前右側がXXXV区,手前左側がXXXVI区

今年度の北区では、今までに確認されているヒッタイト帝国時代、アッシリア植民地時代の建築遺構の全体像を把握するために新たにXXXV、XXXVI区を設置し、上層のオスマン時代の遺構の発掘を行いました。XXXV、XXXVI区の表土層の取り外しを行なったところ、他の発掘区と同様、第I層、オスマン時代の建築遺構が顔を出しました。XXXV区では保存状態の非常に悪い断片的な遺構しか出土していませんが、21基のイスラームの墓が確認されました。これらの墓からは2〜3歳の幼児の人骨も確認されています。また、XXXVI区からは保存状態の良いオスマン時代の建築遺構が出土しましたが、遺物はあまり確認されませんでした。

カマン・カレホユック南区2008年発掘終了時

今年度発掘終了時の南区の様子.

南区では鉄器時代の集落について調査を進めました。カマン・カレホユックの鉄器時代は、上層から第IIa層、第IIb層、第IIc層、そして第IId層に分かれることが明らかになっていますが、今シーズンの南区では第IIc層、前8世紀頃の集落の調査を行いました。第IIc層直下の第IId層は、これまでアナトリア考古学では『暗黒時代』と呼ばれ、歴史的にも文化的にも取るに足らない時代とされてきていました。しかし、カマン・カレホユックの発掘調査でこの『暗黒時代』と呼ばれていた時代が決してとるに足らぬ時代などではなく、かなり高度な文化が存在した時代であることが明らかとなってきています。この第IId層の文化が第IIc層の文化にどのような影響を与えたかについて解明することを目的として、今シーズンは調査を進めました。第IIc層から出土している彩文土器は、第IId層の影響を多々受けているとみられ、この二つの時期の関係を解明する手がかりを与えつつあります。

謝辞

カマン・カレホユックの発掘調査は、これまで多くの助成団体から研究助成金、補助金の交付を受けて継続しております。ここに改めて、感謝申し上げます。2008年度に助成頂いた団体は以下の通りです。