カマン・カレホユック

大村 幸弘 アナトリア考古学研究所長

第29次カマン・カレホユック発掘調査(2014年)

図1:2014年発掘区[クリックで拡大]

図1:2014年発掘区[クリックで拡大]

第29次カマン・カレホユック発掘調査は6月23日に開始し、9月5日、博物館展示に叶う126点の出土遺物をカマン・カレホユック考古学博物館へ納め、今シーズンの作業を終了しました。 ハジュベクタシュ博物館のネヴィン・カヤさんが、査察官として文化観光省から派遣されました。

今シーズンは、北区では鉄器時代、前期青銅器時代と中期青銅器時代の間に年代付けられる移行期、そしてその直下の前期青銅器時代の発掘調査を、南区では初期、中期鉄器時代、さらには後期青銅器時代の文化層の調査を行ないました(図1)。

北区の建築遺構

鉄器時代の文化層はXVIII、XIX、XX区の3発掘区で、前期青銅器時代から中期青銅器時代への移行期と前期青銅器時代の文化層はIV、V、VI、VII区の4発掘区でそれぞれ調査を行ないました。

1. XVIII、XIX、XX区:II層 後期・中期鉄器時代
写真1:R449[クリックで拡大]

写真1:R449[クリックで拡大]

この3発掘区では、後期鉄器時代と中期鉄器時代の建築遺構の調査を行ないました。2013年に XIX、XX区にまたがる建築遺構R426、R435が発掘されました。遺構内部からは炉址と共に金属滓、石製の鋳型が出土しており、この建築遺構は金属器を製造する工房であった可能性が考えられています。2014年度の発掘調査では、これらの建築遺構を取り外す作業を行ないましたが、R426の床面を取り外したところ、その直ぐ下からR449が確認されました(写真1)。このR449の西壁のW23は、 R426にも再利用されており、W23を使いながら数度の立て替えが行なわれたことが明らかになりました。このR449の床面からも炉址H355が検出されていますが、この炉址の周辺からは金属製品等を製作していたと推定させる出土遺物は観察されず、日常的な煮炊きに使用されたものと考える方が妥当かもしれません。

写真2:彩文土器片[クリックで拡大]

写真2:彩文土器片[クリックで拡大]

XVIII、XIX区ではR449の他には明確なプランを持つ建築遺構やピットは確認できませんでしたが、カマン・カレホユックのIIc層つまり中期鉄器時代に年代付けられる鹿、羚羊、円文が施された彩文土器片が幾つか出土しています(写真2)。

XVIII区では、IId層、つまり初期鉄器時代の彩文土器片が確認されたと同時に、強い火災を受けた層が顔を見せ始めています。XIX〜XX区のIIa層の建築遺構を完全に取り外した段階で、中期鉄器時代のIIc層、さらには初期鉄器時代のIId層の建築遺構が出土するであろうと考えられます。この点は、2015年の調査で明らかにします。

2. IV、V、VI区:IIIc、IVb, IVa層 中期・前期青銅器時代

この3発掘区では、IIIc層のアッシリア商業植民地時代、IVa層の前期から中期青銅器時代への移行期、さらにはIVb層の前期青銅器時代の文化層の調査を行ないました(写真3)。

写真3:北区 IV、V、VI区[クリックで拡大]

写真3:北区 IV、V、VI区
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V、VI区で東セクション側に残っていたIIIc層の建築遺構を取り外しました。これらの建築遺構は、R443を初めとして保存状態の良好な石壁によって構築されていましたが、同じ建築プランの下で少なくとも4〜5回改築されながら長期間に渉って使用されたものと思われます。R443の床面からは炭化した小麦が大量に検出されており、この建築遺構が穀物の収蔵庫として使われていた可能性も考えられます(写真4)。

写真4:R443[クリックで拡大]

写真4:R443[クリックで拡大]

V区では数多くのピットが確認されましたが、明確なプランを持つ建築遺構は発見されませんでした。このピット群を確認した層から出土した土器を観察すると、前期青銅器時代の手捏ね土器と IIIc層の轆轤製の土器が共伴しています。この層から出土した炭化物を放射性炭素年代測定法(AMS測定)によって計測した結果、前22〜20世紀半ばに年代付けられることが明らかとなっています。つまり、この二つの土器製法技術が混在しているIVa層は、前2千年紀初頭〜前3千年紀末に年代付けられることになります。

また、この炭化物を採集した層から、金製の耳飾りが出土しました(写真5)。類似した金製耳飾りは、他の遺跡の前期青銅器時代の層からも出土しています。

写真5:金製耳飾り[クリックで拡大]

写真5:金製耳飾り
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写真6:R326、R448[クリックで拡大]

写真6:R326、R448[クリックで拡大]


IV区では、上記の炭化物を採集した層の直下からR326、R448の建築遺構が出土しました(写真6)。R448の床面には円形の炉、移動可能な土製炉脚片と共に、上部構造から崩落した梁と考えられる炭化木材が確認されました。 R448の床面上から原位置で検出された土器は何れも手捏ねで、轆轤製の土器は一点も出土していません。すなわち、このR448 は、明らかにIVb層の前期青銅器時代に属するものと考えられます。これらの建築遺構の直上から採集した炭化物を分析した上述のAMS測定の結果から考えて、その直下の火災を受けたR448は、少なくとも前22世紀初頭以前に年代付けることが可能になります。

南区の建築遺構

南区ではI、III、XXV、XXVIII、XXX、XXXIV、XL、XLIV、L、LI、LII、LV、LVI、LVII区の14発掘区で (図1)オスマン時代、後期・中期・前期鉄器時代および後期青銅器時代の調査を行ないました。

1.I, III区:I層 オスマン時代

この2発掘区ではI層の発掘調査を行ない、数多くのピットや短い石壁が検出されましたが、ほとんど明確な建築プランを確認することはできませんでした。ただし、I区の石壁の中には、形態的にIIa層に年代付けられる可能性のあるものも含まれており、それらはXXVIII区のIIa層の建築遺構と結び付くもの考えられます。

2.I, III, XXXVIII, XL, XLIV区:IIa層 後期鉄器時代

何れの建築遺構もピット等によってかなりの破壊が見られ明確な建築プランを確認することはできませんでした。

3.XXV, XXVIII, XXX, XXXIV, LVII, LV区:IIc層 中期鉄器時代

これらの発掘区では2013年に続いて、IIc層中期鉄器時代の建築遺構の調査を行ないました。ここでは南北に並列する長方形の建物の礎石が確認されています。 IIc層の建築遺構の形態は、大きく二つに分けることができます。一つはIIc層の第1建築層で主流となる半地下式 、今一つは第2建築層の平地式の建築形態です。2013〜2014年に調査を行なったこれらの発掘区でのIIc層の遺構は、第2の平地式です。

4.XXXIV, LI, LII, LVI, LVII区:IId層 前期鉄器時代
写真7:南区 LVI区[クリックで拡大]

写真7:南区 LVI区[クリックで拡大]

これら5発掘区ではIId層、つまり初期鉄器時代の建築遺構の発掘調査を行ないました。これらの発掘区では前年度までに既にIId層の建築遺構を確認しており、2014年にはIId層第4、5建築層の遺構を確認しました。IId層の建築遺構も主に半地下式の建築形態をとっていますが、IIc層の第1建築層の半地下式に比較すると浅めで、支柱に木材が多用されていることが特徴です。2014年度に確認したIId層の建築遺構にも、柱穴が壁沿いだけでなく遺構の中央部でも数多く確認されました。また、LVI区では東西に走る回廊を想起させる遺構を確認しています(写真7)。その遺構の幅は、約3メートル、長さは10メートル、南北の端には 柱穴が東西に数多く並んでいます。また、この回廊を想起させる遺構は白色面に覆われていました。この建築遺構が単なる回廊なのか、それとも特別な意味を持つものであったのかは2015年のシーズンで解明していきたいと考えています。

5.L、LI区:IIIa層:後期青銅器時代
写真8:南区 L、LI区[クリックで拡大]

写真8:南区 L、LI区[クリックで拡大]

この2発掘区では、前年度までに調査されたIId層の建築遺構の直下から石壁で構築され東西に走る大型の建築遺構が出土しました。この大型の建築遺構の直ぐ下には、1993−1994年に北区の0、XII、XXIV区で見つかっているIIIc層-アッシリア商業植民地時代—の強い火災を受けた建築遺構の一部が検出されています。つまり、今回見つかった東西に走る大型の建築遺構は、この火災層であるIIIc層、つまりアッシリア商業植民地時代層の直上に位置しており(写真8)、少なくとも中期・後期青銅器時代のIIIb層かIIIa層に年代付けられると推察されます。これを確認することも2015年の第30次調査の課題の一つとなります。この大型の建築遺構は、上層のピット等によってかなり破壊されていますが、図上復元は十分に可能な状態です。

出土遺物

既述したように126点の出土遺物をカマン・カレホユック考古学物館に納めました。遺物は、土器、印章、印影、青銅製品、鉄製品、装身具類、紡錘車、土器片を利用した紡錘車、骨角器等に分類出来ます。これらの他にも大量の土器片、獣骨片、種子、金属滓、鉄滓が見つかっています。土器片、獣骨片は各発掘区における各層毎に分類され、収蔵されています。

1.土器

鉄器時代の土器はクッキングポットと呼ばれる日常雑器が中心ですが、IIa層に特徴の灰色土器も数多く出土しています(写真9)。また、IIc層、IId層に特徴的なアリシャルIV式土器やその他の彩文土器が北区のXVIII、XIX区で確認されました。

注目すべき土器としては、IVb層の手捏ね製の土器(写真10)が挙げられます。前期青銅器時代の層からは多くの手捏ね製の土器が出土していますが、それらの多くは小型の粗製土器です。その中でも丸底の把手付杯はIVb層以前から継続していると考えられますが、その変遷過程を明らかにすることも、今後の課題です。

IVb層は明らか強い火災を受けていますが、この時期のアナトリアの他の遺跡でも同じような火災層が確認されています。この火災層が外的影響、つまり諸民族等の侵攻によるものか否かは、今後の研究で明らかにされるでしょう。この火災層を境として土器形態を始めとして他の出土遺物に変化が見られることは極めて重要なポイントと考えています。

IVa層からは彩文土器が出土していますが、前期青銅器時代末に年代付けられるアリシャルIII式土器、インターミディエイト土器、デリジェ土器、チラデレ土器等の彩文土器とは多少異なり、この地域独特のものである可能性も考える必要があります。

写真9:灰色土器[クリックで拡大]

写真9:灰色土器[クリックで拡大]

写真10:IVb層の手捏ね製の土器[クリックで拡大]

写真10:IVb層の手捏ね製の土器[クリックで拡大]


2.印章

印章は2点出土していますが、いずれも青銅製で(写真11)印面には幾何学文様が施されており、印章の形態、モチーフから 前3千年紀末の可能性があります。

写真11-1:印章[クリックで拡大]

写真11-1:印章[クリックで拡大]

写真11-2:印章[クリックで拡大]

写真11-2:印章[クリックで拡大]


3.印影

数点の印影が北区、南区で出土しています。何れもヒッタイト古王国時代に年代付けられるものです。

4. 装身具類

既述したようにIVa層から出土している金製の耳飾りのほかに、瑪瑙製やガラス製のビーズが出土しています。ビーズ類は鉄器時代の層から出土したものが多く、III層の中期・後期青銅器時代からはほとんど出土していません。

5. 紡錘車

紡錘車は、II、III、IV層から数多く出土していますが、その形及び刻まれた文様によって鉄器時代のものとそれ以前のものに大別することが可能です(写真12)。

また、鉄器時代では、土器片を再利用する形で作られた円盤形紡錘車が多数出土しています。中には数こそ少ないものの彩文土器片を利用したものもあります。

写真12-1:紡錘車[クリックで拡大]

写真12-1:紡錘車[クリックで拡大]

写真12-2:紡錘車[クリックで拡大]

写真12-2:紡錘車[クリックで拡大]


6.青銅製品

青銅製品は、II層から主にフリュギアタイプのフィブラ(写真13)、鏃、III層、IV層からはピン類(写真14)が出土しています。

写真13:フィブラ[クリックで拡大]

写真13:フィブラ[クリックで拡大]

写真14:ピン[クリックで拡大]

写真14:ピン[クリックで拡大]


7. 鉄製品

I層、II層から数多くの鉄製品が出土しています。III層、IV層からは今シーズンは鉄製品は出土していませんが、金属滓が出土し、その分析を日本で行なっています。

8. 骨角器

骨角器の多くは、II〜III層から出土しています。千枚通しと思われるもの、あるいは角ベラ状のものなどが含まれます。

次年度に向けて

第29次カマン・カレホユック発掘調査のまとめとして、今後調査研究を継続すべき課題と共に、以下の2点を挙げることができます。第一は、北区でほぼアッシリア商業植民地時代、 前期から中期青銅器時代への移行期が終了し本格的に前期青銅器時代の文化層に掘り進んだことです。前期青銅器時代はアナトリア考古学では先史時代に入り、ある意味では暗黒時代とも云える時代です。幾つもの遺跡で前期青銅器時代の発掘が行われていますが、実際のところ前期青銅器時代の概念自体もあやふやなまま今日に至っています。

中央アナトリアのほぼ中心に位置しているカマン・カレホユック遺跡で、 前期青銅器時代の研究を進め、放射性炭素年代測定(AMS)を活用しながらその編年を確立することと併行して、前期青銅器時代の土器の型式編年の確立を行わなければなりません。

第二は、南区でのIII層とIId層すなわち中期・後期青銅器時代と前期鉄器時代の関係を解明する糸口が、南区のL〜LI区で 見え始めたことです。 これもアナトリア考古学の中ではトロイアを始めとして大いに議論されているところですが、IId層の初期鉄器時代の文化の形成を、後期青銅器時代の文化の流れで捉えることができるのか、あるいは後期青銅器時代が終焉を迎えた後に、別の世界から移入された新たなる文化を基としていると考えるべきなのかは、アナトリア考古学における大きなテーマの一つといえます。2015年の南区では、IId層の発掘調査が一部を除いてほぼ完了しますので、今後両層の出土遺物を整理しながら研究を進めていきたいと考えています。

何れの課題もその解決にはまだまだ時間を要しますが、2015年の調査も、これらの問題点を念頭に置きながら進める予定です。

謝辞

第29次カマン・カレホユック発掘調査は、隊員を始め多くの方々のご協力と、下記機関からの調査研究助成を受けて行われました。ここに厚くお礼を申し上げます。



第29次カマン・カレホユック発掘調査(2014年)途中経過

6月23日に開始した第29次カマン・カレホユック発掘調査は順調に進んでいます。6月から7月初旬にかけてはそれほど気温も上がらず、むしろ涼しいぐらいでしたが、7月も10日を過ぎた頃から気温も急上昇、ここ数日発掘現場の日中の気温は40度を超しています。

カマン・カレホユック2014年

北区

カマン・カレホユック2014年

南区

北区の発掘調査では、念願の前3千年紀の前期青銅器時代の層に入ることが出来ました。前期青銅器時代の上にはアッシリア商業植民地時代の建築遺構ががっちりとあり、その調査に10年以上の時間を費やしてしまいました。ただ、このアッシリア商業植民地時代の文化を長期間に渡って調査をしたお陰で、前期青銅器時代の文化が更に鮮明に見えて来るようになったのが何よりでした。現在、前期青銅器時代末に確認された火災層を追いながら調査を続けているところです。この時代に入りますと、ほとんどの土器が手捏ね製であり、ロクロ製のものは数%に過ぎません。文化が替わると云うことは、このようなことなのかとただ驚いてしまいます。今後、何によってこの火災が生じたかを解明しなければなりません。色々と推論はできますが、そう容易にそれを解明出来るとは思っていません。この2週間で確認されたピット群(穀物、廃棄等の貯蔵用に掘られた坑)を丹念に調査しているところです。

カマン・カレホユック2014年

南区

カマン・カレホユック2014年

南区

南区では、初期鉄器時代と後期鉄器時代の層を発掘しています。中央アナトリアでは、前12世紀から前9世紀初頭に年代付けられる初期鉄器時代と云われます。以前、この時代は『暗黒時代』と呼ばれていましたが、カマン・カレホユックのこの層から彩文土器、鉄製品等が数多く出土、決して文化的にも歴史的にもとるに足らない『暗黒時代』でないことが解明されました。今シーズンも初期鉄器時代の第IId層を中心に作業を進めていますが、何度も造り替えられている建築遺構を上層から丁寧に取り外しながら下層へと向かって発掘を行っています。これまでの調査では、この第IId層の文化は、第IId層の下層に位置する前2千年紀のヒッタイトの文化を一切継承していないことが明らかとなっています。また、後期鉄器時代のピット内から土器がまとまって出土しています。これまでも南区の後期鉄器時代のピット内から一括土器が何度か見つかっていますが、今回のものもそれらの一連のものと考えられます。

第5週目から第6週目にかけて断食開けのシェケル・バイラム(砂糖祭)が始まりますので、第6週目の月曜日、火曜日、水曜日は作業を休みにし、発掘は木曜日から再開の予定です。(2014年7月22日)(大村幸弘)

カマン・カレホユック2014年

北区


第29次カマン・カレホユック発掘調査(2014年)開始

カマン・カレホユック2014年

初日

カマン・カレホユック2014年

クリーニング

6月23日(月)、チャウルカン村から採用した30名の労働者と共に発掘区のクリーニングから開始しました。北区では保護屋根をかけていたこともあり、昨年確認した建築遺構はほぼ完璧な形で残っていたのが何よりです。南区ではジオテックスを使って建築遺構、セクションの保護を初めて試みましたが、ジオテックスが予想以上に効果的であることが判りました。

カマン・カレホユック2014年

クリーニング

カマン・カレホユック2014年

クリーニング

カマン・カレホユック2014年

クリーニング

クリーニングでは、鋤簾等を使いながらセクション等から崩落した土をかき集めたり、建築遺構から落ちた石等の除去する作業を行いました。発掘区のクリーニングは、24日、25日と続きましたが、26日からは北区、南区で本格的な発掘調査に入りました。

カマン・カレホユック2014年

クリーニング

カマン・カレホユック2014年

保護屋根取り外し作業

カマン・カレホユック2014年

保護屋根取り外し作業

第29次発掘調査の調査目的として、例年通り北区では『文化編年の構築』、南区では『鉄器時代の集落形態』の二つをあげています。北区の『文化編年の構築』では、IV層の前期青銅器時代を中心に調査を進める予定です。また、南区では初期鉄器時代の集落形態の調査を行う予定です。

カマン・カレホユック2014年

北区

カマン・カレホユック2014年

北区

第29次カマン・カレホユック発掘調査は、9月初旬までの約2ヶ月間行いますが、今シーズンも何一つ事故もなく終わることが出来れば何よりです。今週の土曜日からは一ヶ月続く断食が始まりますので、発掘調査のスピードはかなり落ちて来るのではないかと思います。(2014年6月26日)(大村幸弘)