ヤッスホユック

大村 正子 アナトリア考古学研究所研究員

第4次ヤッスホユック発掘調査(2012年)

第4次ヤッスホユック発掘調査は、2012年8月27日から11月3日までの10週間、ただし最初の2日は昨年架設した保護屋根外しに使い、また、10月24日から28日は犠牲祭の休日であったため、実質9週間の調査を行いました。また、発掘終了後、発掘区を覆う保護屋根の架設には11月13日から17日までの5日間を要しました。

第4次調査は過去3シーズンの調査に引き続き、次の2点を調査目的としました。1)第I層では、後期鉄器時代の調査を進めその構造を明らかにすると共に、中期、前期鉄器時代の層が存在するか否かを探ること。2) 第II層では、王宮址のプランをより明確にし、その詳細な調査を進める。

以上の目的に沿って、昨シーズンまでの8グリッド(E8/d9, d10, e9, e10, f9, f10, g9, g10)の西南部に2グリッド(E8/d8, e8)を新たに設定し、第I層の調査を進めると共に、第II層の王宮址内の各部屋を床面まで掘り下げ、一部セクションボークの取り外しも行いました。

第4次発掘調査終了時全体写真 東上方より撮影

第4次発掘調査終了時全体写真 東上方より撮影

発掘区

1)第I層

第1−3建築層:E8/d8, e8の2グリッドにおける最上層は現代の耕作により著しく破壊されており、断片的な幾つかの石壁が検出されたのみです。そのうちW104, W105は部屋R44を構成しているが、そのプランは明確ではありません。これらの石壁の覆土からは、ヘレニズム期の土器片が出土しています。

R44の下からは、E8/e9グリッドで 第II層の王宮址に属する煉瓦壁W47を大きく壊している深い掘込み式の部屋R13の西南部が検出されました。R13は2010年の調査で第I層第2建築層に属すると考えられましたが、第I層第3建築層の大遺構に属する大きな石壁W57の覆土を切って建設されていたことが、今シーズンの調査でもE8/d8グリッドで明確に確認されました。E8/e8グリッドの西北端に、掘込みの部屋R45(W106, W107)が検出されましたが、R44とR13の関係は不明です。しかし、これらの遺構は何れも後期鉄器時代のものです。

第1−3建築層

第5−6/7建築層:第I層の第3建築層の大遺構の直下には、同様の大きな建物に属していたと考えられる断片的な石壁(第4建築層)が昨年検出されました。また、これよりも古く、しかし、E8/d9-10グリッドの脆弱な掘込み式部屋R28との関係が明白ではないR24(第5もしくは第6建築層)とその下のR29(第6もしくは第7建築層)が、昨シーズンE8/f10グリッドで一部検出されました。今シーズンはグリッドを設定していない東へ続くR24のE8/f10グリッド内の部分を取り外し、R29の北への連続部をE8/g10グリッドで発掘しました。床面まで検出されたR29には、2本の壁沿いに低いベンチが見られ、南壁のベンチには、等間隔に残る4個の柱穴が確認されました。R29は後期鉄器時代に属すると考えられますが、このR29が壊している巨大ピットP34は、その出土遺物から中期鉄器時代に属すると考えられました。R29を取り外すと、このR29はピットP34のみならず、その下の第II層の王宮址の一部も大きく壊していることが観察されました。R29を取り外す際に発見されたディスク形印章は、壁の後背の土から出土したものと考えられます。この印章の両面に、同一男性名がヒエログリフで刻まれており、マーク・ウェデンによると “Good Scribe Mr á-su-x(?)”と読まれています。このタイプの印章はヒッタイト帝国期のものとされていますが、後期ヒッタイトと関連づけることはできないものか、今後研究する必要があります。

第5−6/7建築層-1
第5−6/7建築層-2

この二つの遺構R29とP34を、特にP34を重視する理由は、ヤッスホユックにおいてヒエログリフの刻まれた鉛製手紙文書が出土していることから、中央アナトリアでは今まで全く跡づけられていないヒッタイト帝国崩壊後の後期ヒッタイトの王国、特にタバル王国に関わる都市が前8−9世紀のすなわち前・中期鉄器時代のヤッスホユックに存在していたことを期待させるからです。残念ながら、今までのところ後期ヒッタイトに関連した遺構は、遺丘中央部では確認できていませんが、中期、前期鉄器時代については慎重に調査を進めたいと思っています。

ヒエログリフ付印章

ヒエログリフ付印章

アリシャル IV 式彩文土器

アリシャル IV 式彩文土器

第7/8建築層:E8/d10グリッドで、第4建築層の大形の石壁を取り外すと、第II層の埋土(焼土層)に埋め込む様に作られた矩形の遺構と敷石遺構が検出されました。R29は焼土を掘込んでその焼土を除去して立てられているのに対し、E8/d10の二つの遺構は焼土に埋め込まれている状態で検出されたことから、直接関連付けられてはいませんが、R29よりも古いと考えられ、現時点では第7もしくは第8建築層に位置づけられるのではないかと考えています。

第7/8建築層

第I層出土の遺物

上記の遺物の他、主に後期鉄器時代の遺物として、鉄製ナイフ、青銅製フィブラや鏃、水晶製のスタンプ形印章、土製の紡錘車等が出土しています。

水晶製スタンプ形

水晶製スタンプ形


鉄製ナイフ

鉄製ナイフ

青銅製フィブラ

青銅製フィブラ

土器も後期鉄器時代の典型的な灰色土器や赤色スリップ土器のクラテールや壷形土器が多く出土しています。

壷形土器 E8/d9-e9 P49

壷形土器 E8/d9-e9 P49


両耳付クラテール形土器

両耳付クラテール形土器 E8/d9-e9 P49

口縁部に鉛を使った修理痕が見られます。E8/d9-e9 P49

口縁部に鉛を使った修理痕が見られます。



2)第II層

2009年の第1次調査で、E8/f9グリッド内の 限られた範囲で発掘し、磁気探査で検出された遺構が第Ⅱ層の日乾煉瓦からなる大遺構であり、この煉瓦壁が2m余りの高さで残存していることを確認し、以後の発掘調査の方向を定めることができました。続く2次、3次調査では、 前シーズンからの発掘を継続した遺丘中央部の6グリッドでそのプランをおおよそ確認しました。

そして今シーズンは、昨年新たに設置した2グリッドでも王宮址の連続部のプランを確認し、前8グリッドにおける遺構内部の掘り下げを進めました。これまでに、R8, R19, R20, R37, R39, R27, およびR41の一部で床面を検出しました。

王宮址と考えられるこの建築遺構は、北西−南東方向の軸をもち、コートヤード/中庭もしくは謁見の間と見られるR8を中心に、廊下や各部屋がまさしく左右対称に配置された大遺構であることが明確になりました。

第II層

R8:5つのグリッドにわたるR8は、まだ発掘区を広げていない東側の一部と、南北に走るセクションボークの部分を除いて、概ね床面まで到達しました。

3段のステップがついた壇

2mを超える高さで保存されていた北西壁W20の中央部には、3段のステップがついた壇が設けられ、この壇には上面にも側面にも丁寧に化粧土と漆喰が塗られていました。また、隣のE8/e10グリッドにまたがる部屋の中央部に設置されていた直径240cmの円形の炉の側面にも漆喰が塗られていました。


3段のステップがついた壇

R8の北東壁W19沿いの床面には、五徳もしくは炉台と思われる把手付の土製品が、2基一対のものと1基のみのものが原位置で検出されました。床面上には、多数の大型土器が壊れた状態もしくは完形品として現位置で発見されました。



R8-R27間の出入口 R27側から

R8-R27間の出入口 R27側から

R8-R27間の出入口南壁の印影

R8-R27間の出入口南壁の印影

印影付煉瓦片 E8/e9 R8

印影付煉瓦片 E8/e9 R8

R8とR27の間の壁W47には、その二つの空間を繋ぐ出入口が確認されました。その出入り口の南側の壁面のR27側の角に、おそらく木製扉の軸があったと推察させる煤で黒くこげた垂直な窪みがあります。そしてそのすぐ内側には、印影が残されていました。R8では崩落した日乾煉瓦の漆喰部分に人物および動物像のフリーズが押印されたものが検出されており、この王宮址の所々の壁面に印章が押印されていたものと思われます。また、そのW47のR8側には腰からやや上の高さに帯状に淡い赤色の彩色が施されていました。

R8-R27間の出入口 R27側から

R39:R8の南東部には前室と思われるR39があります。R39の東部分はまだ発掘できておりませんが、低い土製のベンチが壁沿いに設置されていました。ただ、この部屋からは土器片がわずかに出土したのみで、ほとんど遺物と言えるものを検出することはできませんでした。


R27の西部分

R27の西部分

R27:R27は、R8と昨年発掘した甕形土器が多く出土した貯蔵室と思われるR37の間にある細長い空間です。 R27の床面からも大形の両耳付甕、嘴形注口付壷、ピトス等の土器が出土しました。これらは何れも赤色スリップが施された手捏ねの土器です。大形壷のそばから1点素焼の小さな鉢形土器が出土しています。

このR27からは、興味ある遺物が多く出土しました(後掲)。今シーズンの主な遺物は概ねR27から出土したとも言えます。

 両耳付甕 R27

両耳付甕 R27

青銅製二叉槍先 R27

青銅製二叉槍先 R27

R8の北側ですが、R27対応するR21とその北側の部屋は、 前述の第I層鉄器時代のR29およびピットP34によって大きく壊されており、今年度はこれらの鉄器時代の調査が主体となり、 第Ⅱ層 の部屋を明確にすることはできませんでした。R8の西北部もしくは奥の部屋では、建材であったと思われる炭化材が多く堆積していたR19(昨シーズンに調査)の隣のR20、R41で今シーズンは発掘作業を進めました。

R20,R21,R41

R20, R41:R41はその東半分のみで調査を行い、西半分は来シーズンに持ち越されましたが、2010年に発掘を始めたR20は発掘を完了しました。この2部屋からも、大型の赤色スリップ土器が多く出土し、炭化木材も同様に検出されました。 R20では、R8で検出されたものと同タイプの炉に使われる炉台もしくは五徳が一基、これは原位置ではありませんでしたが、出土しました。

大形土器出土状況 R20

大形土器出土状況 R20

土製炉台

土製炉台


第II層出土の遺物

四耳付甕

上述した様に、 第II層の王宮址の床面から赤色スリップの施された両耳付もしくは四耳付甕、嘴形注口付壷等の大形土器が多数出土しています。

嘴形注口付壷

土器および土製炉台以外の主な出土遺物としては、青銅製の鏃片、ピン、二叉槍先、短剣、紡錘車、石製小瓶、棍棒頭、錘、ビーズ等が挙げられます。 R8の床面では小形の紡錘車が多数かたまって検出されています。

紡錘車出土状況 R8

紡錘車出土状 R8

青銅製ピン R8

青銅製ピン R8

今シーズンの発掘調査では、前述した様に、第II層の特徴的な遺物の多くがR27から出土しています。R27は、コートヤードR8と貯蔵室R37の間にある廊下状の細長い空間です。しかし、大形土器も置かれており、その出土遺物から考えて、単に廊下であったとは言えないかもしれません。その機能については、今後調査を進めていくことによって、明らかにすることができると考えています。

瑪瑙−金製ビーズ R27

瑪瑙−金製ビーズ R27

瑪瑙−金製ビーズ R27

瑪瑙−金製ビーズ R27

R27の床面近くから出土した瑪瑙製のビーズは全部で11点あり、そのうちの1点の両端ともう1点の一端には金の箔が帯状に巻かれています。


石製小瓶 R27

石製小瓶 R27

石製棍棒頭 R27

石製棍棒頭 R27

R27より石製品が多く出ていることも特徴的なことである。この小さな石製瓶も、王権を表す棍棒の頭ではないかと思われる紡錘形の遺物も、精巧なドリルを使って削られている。ヘマタイト製の錘も多数出土している。また、黒曜石のコアが4点も出土していることが特筆されます。

青銅 (厳密には青銅かどうか断定はできませんので、銅合金というべきところですが、便宜上青銅とします)製品としては、二叉槍先と短剣が特筆されるべき遺物です。

青銅製短剣/槍先 R27

青銅製短剣/槍先 R27

青銅製二叉槍先R27

青銅製二叉槍先R27



3)遺構の保護

第II層の王宮址の煉瓦壁を如何に保存するかが、ヤッスホユックの大きなテーマになっています。主に、出土した煉瓦壁の主に漆喰部分の保存処理を行いました。今シーズン発掘した壁の中ではR8とR27間の壁W47の破損が激しく、鉄器時代の破壊の影響と、野鼠によると考えられる内部にできた空洞から、崩落の恐れがありました。一時的な修復ではありますが、 同じ壁から崩落した煉瓦片およびそれを粉砕したもの、そして同遺構の埋土を利用して破損部分を充填し、一部堅牢化剤を使い保存処理を行いました。しかし、これはあくまで、一時的な処置であり、より長い期間遺構を保存するための方法を模索中です。

発掘作業、保存修復作業を終えた後、発掘区全体に保護屋根を架設し、第4次調査を終えました。

第II層

第4次ヤッスホユック発掘調査(2012年)開始

ヤッスホユック全景

ヤッスホユック全景

第4次ヤッスホユック発掘調査を8月27日に開始しました。昨シーズン末に架設した保護屋根を外し、発掘区のクリーニングを行った後、本格的な発掘作業に入りました。

授業風景

授業風景

今シーズンは、昨年までに設置した8グリッドで調査を進めます。一部、第Ⅰ層の鉄器時代前半の遺構を明らかにする必要がありますが、全体的には第Ⅱ層の火災を受けた大遺構を明らかにすることを主眼に、調査を進めます。また、レーダーによる地中探査を遺丘頂上部と周辺部で行っています。

アナトリア考古学研究所主催の考古学フィールドコースに参加の日本人学生5人と、トルコ人学生5人も加わり、現場は賑やかな雰囲気の中で順調に進んでいます。

調査は10月末まで行う予定です。