2022年度トルコ調査報告会プログラム

2023年3月17日(金)

12:30  ご挨拶
彬子女王殿下(中近東文化センター総裁)
12:35  ビュクリュカレ発掘調査
松村 公仁
13:15  カマン・カレホユック発掘調査
大村 幸弘
13:55  ヤッスホユック発掘調査
大村 正子
14:35-14:55  休憩
14:55  ベイジェスルタン発掘調査:ヒッタイトの西方、アルザワ国の都市
エシュレフ・アバイ (エーゲ大学) 通訳有
16:25  閉会の辞
大村 幸弘 (中近東文化センター理事長)
17:15  懇親会

ビュクリュカレ Büklükale

ビュクリュカレ遺跡はクズルウルマック河西岸に位置し、城塞部とそれを取り囲む都市部からなり、径約600mの規模を持つ紀元前2千年紀の都市遺跡です。2019、2021、2022年度の調査において、フリ語で書かれた紀元前15/14世紀の楔形文字文書(宗教文書)が出土しました。このような文書はこれまでアナトリアでは王の家族が居住したとされるボアズキョイ、オルタキョイ、カヤルプナルの3遺跡でのみ出土しており、これらの遺跡と同様に、ビュクリュカレ遺跡が極めて重要な都市であった可能性が高くなりました。

カマン・カレホユック Kaman-Kalehöyük

カマン・カレホユック遺跡は、トルコ共和国の首都アンカラの南東100キロ、東西に走る古代の道の北側に位置しています。径280メートル、高さ16メートルとアナトリアでは中規模の遺跡で多くの都市が重層した形で包含されています。1985年に考古学的予備調査、1986年から本格的な発掘調査を開始し現在に至っています。主な調査目的は「文化編年の構築」すなわち年表作りです。2019年、2022年には、主に前期青銅器時代と後期青銅器時代(ヒッタイト帝国時代)の調査を行いました。

ヤッスホユック Yassıhöyük

中央アナトリアの幹線道路上にあるヤッスホユック遺跡は、南北500m、東西625m、高さ13mの比較的大きな遺丘と、その北裾野に広がる「下の町」からなります。2009年に開始した遺丘の発掘調査ではこれまでに第Ⅰ層:鉄器時代、第Ⅱ層:中期青銅器時代、第Ⅲ層:前期青銅器時代の3文化層を確認しています。2018〜2019年には「下の町」において、遺丘上の第Ⅱ層に平行するアッシリア商業植民地時代(紀元前2千年紀初頭)の居留区の存在を明らかにし、2021〜2022年には遺丘頂上部でそれまでに発掘されていた第Ⅲ層:前期青銅器時代の大遺構の下に、さらに大きな遺構群を含む厚い火災層が存在することを確認しました。

ベイジェスルタン Beycesultan

西アナトリアで最大級(35ヘクタール)の丘状遺跡の一つで、エーゲ海に近いデニズリ県チヴリル郡に位置します。最初の発掘は1954年にイギリス考古学研究所のセトン・ロイドによって始められ、1959年まで続いた調査の結果、銅石器時代後半(前4500〜3000年)から後期青銅器時代 (前1600〜1200年) 末まで途切れなく堆積する文化層が確認されました。2007年にアバイ教授によって再開された発掘調査では、中期、後期青銅器時代に焦点が当てられ、紀元前2千年紀西アナトリアにおける政治・経済の動向を探る調査研究が続けられています。

エシュレフ・アバイ Prof. Dr. Eşref Abay

エーゲ大学文学部考古学科教授。ヴァンのアヤニス遺跡(ウラルトゥ時代)、イズミールのウルジャック遺跡(新石器時代)等での発掘調査を経て、2007年よりベイジェスルタン遺跡で隊長として発掘調査を指揮する。

◎講演のポイント

ベイジェスルタン遺跡で発見された無数の人骨を含む大火災の跡は、ヒッタイト帝国時代を約300年遡る紀元前17世紀頃の古ヒッタイト時代に年代付けられます。それはまさにヒッタイトの初代王ハットゥシリI世により西方遠征が行われた時期と重なります。今回の講演では最新の発掘調査の成果から、未解明であるヒッタイト時代の西アナトリアの歴史に迫ります。