2015年度トルコ調査報告会プログラム

2016年2月28日(日)

13:00  挨拶
阿部 知之 (中近東文化センター理事長)
13:10  アナトリア考古学研究所の活動(2015年)
大村 幸弘 (中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)
13:45  第7次ビュクリュカレ発掘調査
松村 公仁 (中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)
14:30  第30次カマン・カレホユック発掘調査
大村 幸弘 (中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)
15:15  休憩
15:30  第7次ヤッスホユック発掘調査
大村 正子 (中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)
司会:吉田 大輔 (中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)
17:00  懇親会

2015年アナトリア考古学研究所の活動

アナトリア考古学研究所は、2015年度も3遺跡の発掘調査そして遺跡踏査を中心とする研究活動を行うと同時に、7月に植物考古学フィールドコース、8月に考古学フィールドコース、9月には国際交流基金、トルコ共和国文化・観光省との共催で保存修復に重点を置いた博物館学フィールドコースを開催し、多くの日本、トルコ、欧米の学生を受け入れ、発掘現場に密着した考古学及び関連分野のトレーニングを行いました。また、5月には『考古学における蛍光X線の技術と適用』に関する国際ワークショップをイギリス考古学研究所と共催しました。その他、11月からはカマン・カレホユック考古学博物館の大幅な展示改装を博物館と協力して行っています。
 現在、研究所ではカマン・カレホユック発掘調査本報告の準備を進めています。一方、5人の学生(日本1人、トルコ1人、アメリカ3人)が、3遺跡から出土した遺物を基に博士論文のための研究を行っています。

第7次ビュクリュカレ発掘調査

ビュクリュカレは、クズルウルマックの西岸に位置する紀元前二千年紀の都市遺跡です。今年度は、これまでにヒッタイト時代の粘土板文書が出土している火災層の発掘を継続し、複数の建築遺構を確認しました。それぞれの遺構がヒッタイト時代のどの時期に属するかを正確に年代付ける遺物は発見されていませんが、 残されている礎石部分から、それぞれ異なる時期に構築されていることが観察できます。これは、ビュクリュカレ遺跡におけるヒッタイト時代のほぼ全期間を通じての居住を裏付けるものと考えられます。

第30次カマン・カレホユック発掘調査

カマン・カレホユックは、トルコ共和国の首都アンカラから直線距離で南東約100km、アンカラとカイセリを結ぶ旧街道の南側に位置する遺跡です。径280m、高さ16m の円形で、アナトリアでは中規模の遺丘です。この遺跡の発掘調査の主目的は「文化編年」を組み立てることで、これまで4文化層、I層—オスマン・トルコ時代、ビザンツ時代、II層—鉄器時代、III層—中期・後期青銅器時代、IV層—前期青銅器時代が確認されています。今シーズンは前期鉄器時代と前期青銅器時代に焦点を合わせた調査を行いましたが、北区の前期青銅器時代の文化層から鉄関連資料、また南区からは前2千年紀の印章、印影など貴重な遺物の出土がありました。

第7次ヤッスホユック発掘調査

ヤッスホユック は、カマン・カレホユックから約25km東に位置し、南北500m、東西625m、高さ13mの比較的大きな遺丘です。遺丘中央部(Area 1)では第Ⅲ層:前期青銅器時代末の王宮址の中央プランが明らかにされています。この王宮址をさらに広い範囲で確認するため、東西に発掘区を拡げ調査を進めています。今シーズンは昨シーズンに続き、第Ⅰ層: 鉄器時代および第Ⅱ層: 中期青銅器時代を中心に調査を行ないました。レーダーによる地中探査では、遺丘の北西裾野で昨年度までに検出した遺構群がさらに南および東方向に広がっていることを確認し、下の町が存在する可能性がさらに高くなりました。

クルシェヒル県、ヨズガット県に於ける遺跡踏査(2015年)

遺跡踏査の主目的は、カマン・カレホユックの発掘調査で確認されたそれぞれの文化が、中央アナトリアでどのような文化圏を形成しているかを明らかにすることです。2015年度の調査はカマンの北東約60kmに位置するクルシェヒル県のチチェッキダウ郡、アクプナル郡、アクチャケント郡、ヨズガット県のメルケジ郡とイェリキョイ郡で行いましたが、前期青銅器時代の文化の広がりが鮮明になりつつあります。1986年以来、中央アナトリアで1500に及ぶ遺跡を踏査しましたが、まだまだ未踏査の遺跡が存在するとものと思われます。また、以前に踏査した遺跡も、10 年、20年を経ると、耕作や盗掘、開発等によりその状況は大きく変化しています。我々は新しい遺跡と共に、既に踏査した遺跡の再調査も行っています。