発掘調査・一般調査
アナトリア考古学研究所は、1985年以来トルコ共和国クルシェヒル県のカマン・カレホユック遺跡における発掘調査、中央アナトリアにおける考古学的一般調査を継続して行っていますが、これに加え2007年にクルシェヒル県ヤッスホユック遺跡における発掘予備調査を開始し、2008年にはクルッカレ県ビュキュルカレ遺跡での発掘予備調査を開始しました。以下にそれぞれの遺跡と最近の調査の概要をお知らせ致します。尚、2008年度調査の詳細な報告とそれに関わる研究成果の発表は、2009年3月28日(土)、29日(日)のトルコ調査報告会・研究会で行う予定です。
カマン・カレホユック
遺跡の概要
カマン・カレホユック遺跡(2008年度)
カマン・カレホユック遺跡はトルコ共和国クルシェヒル県カマン郡チャウルカン村に位置し、首都アンカラから南東約100 km、カマン町から東約3 km、国道260号線の直ぐ南側に位置しています。直径280 m、高さ16 mのアナトリアでは中規模の丘状遺跡です。
1985年に予備調査を行った後、1986年、三笠宮崇仁親王殿下に最初の鍬入れをして頂き、以後、学術発掘調査を継続しています。
今日までの発掘調査では、4文化層(オスマン/ビザンチン、鉄器時代、後期・中期青銅器時代、前期青銅器時代)が確認されています。銅石器時代、新石器時代の遺物も確認されており、それらの文化の存在も考えられています。
- 第I層 オスマン時代 (15th-17th A.D.)
- 第II層 鉄器時代 (12th-4th B.C.)
- 第III層 中・後期青銅器時代 (20th-12th B.C.)
- 第IV層 前期青銅器時代後半 (3rd millennium B.C.)
カマン・カレホユック遺跡の発掘調査は、これまで『文化編年の再構築』を目的の一つとして進められてきましたが、その調査によってアナトリアの古代史における幾つかのポイントに、新しい見解を提示してきています。その第1は、ヒッタイト帝国崩壊後の前12世紀から前8世紀にかけて、従来『暗黒時代』と呼ばれ、取り立てて文化と呼べるものが無いかのごとく扱われていましたが、カマン・カレホユック第IId層の調査から、一連の文化の展開が見られることが明確になりました。また、紀元前2千年紀の層では、アッシリア商業植民地時代、ヒッタイト古王国時代、ヒッタイト帝国時代の連続を明確に辿ることができますし、鉄器の開始時期にも新たなる見解を提起する資料が次々出土してきています。
第23次カマン・カレホユック発掘調査(2008年)
5月下旬に遺跡の保護屋根を外し、6月から10月初旬にかけて発掘区のクリーニング、発掘作業、遺物の整理、保護屋根の再架設を行いました。また、気球による遺跡撮影も行いました。 カマン・カレホユックの発掘調査は北区では『文化編年の構築』、南区では『鉄器時代の集落形態の把握』を目的として進められています。

今年度発掘終了時の北区の様子.
手前右側がXXXV区,手前左側がXXXVI区
今年度の北区では、今までに確認されているヒッタイト帝国時代、アッシリア植民地時代の建築遺構の全体像を把握するために新たにXXXV、XXXVI区を設置し、上層のオスマン時代の遺構の発掘を行いました。XXXV、XXXVI区の表土層の取り外しを行なったところ、他の発掘区と同様、第I層、オスマン時代の建築遺構が顔を出しました。XXXV区では保存状態の非常に悪い断片的な遺構しか出土していませんが、21基のイスラームの墓が確認されました。これらの墓からは2〜3歳の幼児の人骨も確認されています。また、XXXVI区からは保存状態の良いオスマン時代の建築遺構が出土しましたが、遺物はあまり確認されませんでした。
今年度発掘終了時の南区の様子.
南区では鉄器時代の集落について調査を進めました。カマン・カレホユックの鉄器時代は、上層から第IIa層、第IIb層、第IIc層、そして第IId層に分かれることが明らかになっていますが、今シーズンの南区では第IIc層、前8世紀頃の集落の調査を行いました。第IIc層直下の第IId層は、これまでアナトリア考古学では『暗黒時代』と呼ばれ、歴史的にも文化的にも取るに足らない時代とされてきていました。しかし、カマン・カレホユックの発掘調査でこの『暗黒時代』と呼ばれていた時代が決してとるに足らぬ時代などではなく、かなり高度な文化が存在した時代であることが明らかとなってきています。この第IId層の文化が第IIc層の文化にどのような影響を与えたかについて解明することを目的として、今シーズンは調査を進めました。第IIc層から出土している彩文土器は、第IId層の影響を多々受けているとみられ、この二つの時期の関係を解明する手がかりを与えつつあります。
カマン・カレホユックの発掘調査は、これまで多くの助成団体から研究助成金、補助金の交付を受けて継続しております。ここに改めて、感謝申し上げます。2008年度に助成頂いた団体は以下の通りです。
- (財)JKA

- (財)住友財団
- (財)関科学技術振興記念財団
- (株)読売新聞大阪本社
ヤッスホユック
遺跡の概要
ヤッスホユック遺跡(2008年度)
ヤッスホユック遺跡はトルコ共和国クルシェヒル県チャイアウズ村に位置します。首都アンカラから南東約170 km、カマン・カレホユック遺跡から東約30 km、国道260号線の直ぐ北側に位置する遺丘です。
アナトリア考古学研究所は1986、1988、2000、2002年の4度にわたり、中央アナトリアの一般調査の中でこの遺跡及びその周辺を踏査し、遺物の採集を行いました。過去の踏査、表採調査の結果を受けて、2007– 2008年にはヤッスホユックの磁気探査、地形測量、写真撮影及び表採を行いました。
ヤッスホユックは南北500 m、東西625 m、高さ13 mの丘状遺跡です。遺丘の東斜面は採土により一部、南部分も、道路建設のため、削り取られていますが、それらを除くと保存状態は良好です。
ヤッスホユックの頂上部は、周縁部を市壁と思われる高みによって囲まれており、その内側に三つの高まりが確認されています。頂上部で行った磁気探査では中央部の最も高い部分に長さ約45– 50m、幅約40mの王宮または神殿と考えられる大遺構の存在が明らかになりました。またこれに付随すると見られる幾つかの小遺構、第2の高まりに存在すると見られる別の遺構の一部も見出されました。
表採調査では,カマン・カレホユック第IIa層と平行する鉄器時代後半、及び同第IIIb層、第IIIc層に平行する紀元前2千年紀前半すなわち中期青銅器時代の土器片が採集されています。磁気探査で見出された大遺構の年代付けについては、現段階で断定することはできませんが、紀元前2千年紀前半と1千年紀前半の二つの可能性が考えられます。第1の可能性は,紀元前2千年紀前半の重要な遺跡であるアジェムホユックで発見されている宮殿址に比較的類似していることから、推察されます。ヤッスホユックは遺跡の規模から言っても,キュルテペ、アジェムホユックに匹敵します。第2の可能性は,調査前に、地元民がアンカラの博物館に持ち込んだ後期ヒッタイトの象形文字で書かれた鉛製の手紙文書の存在から考えられます。
2008年度ヤッスホユック調査は独立行政法人日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究B)の交付を受けて行われました。
ビュキュルカレ
遺跡の概要
ビュキュルカレ遺跡はトルコの首都アンカラの南東約100 km、アンカラからカマンに向かう道がトルコ最長のクズルウルマック河を渡河する所に位置しています。そこは現在と同様昔から交通の要衝だったと考えられその地点を支配していたのがビュキュルカレ遺跡です。
ビュキュルカレ遺跡(2008年度)
1991年、2006年に中央アナトリアの考古学的一般調査の一環としてこの遺跡においても表採調査を行いました。この遺跡はクズルウルマック側の脇にある岩山の上に大型の建築物があり、それを取り囲む形で周辺に都市が形成されています。表採した土器片からこの遺跡が前2千年紀の後半、ヒッタイト帝国時代の都市であることもわかりました。
カマン・カレホユック遺跡ではこのヒッタイト帝国時代の層が弱く、なおかつ鉄器時代の居住によって破壊されていることから、これまでの目標であった中央アナトリアの文化編年を確立する上で充分な資料が得られないという問題点がありました。このビュキュルカレ遺跡はカマン・カレホユック遺跡の成果を補ってくれる遺跡です。
調査概要
2008年の調査では地形測量、磁気探査、遺物表採作業、気球による空撮を行いました。その結果岩山の頂上部に露出していた大きな礎石を用いた建築遺構が頂上部全体に広がっていることが磁気探査によって理解されました。地形測量の際には河に沿って高さ2 mを超える大型の石を用いた石列が新たに確認されました。
頂上部の石列
表採遺物は岩山の頂上部では多量のヒッタイト帝国期の土器片に混じって灰色土器のような鉄器時代後半の土器片も確認され、ヒッタイト帝国期の大きな石を用いた大遺構の上に薄く後期鉄器時代の層が存在していることが推測出来ます。今年度の表採品の中にリディア王国の首都サルディスに特徴的な鳥の文様を持った土器片が一点見つかっており、この年代を裏付けています。
岩山の周辺に広がる都市は表採した土器片、そしてその分布からヒッタイト帝国期の単層の都市であり、直径約500 mにも及ぶ都市であったことも理解されました。
このようにビュキュルカレ遺跡は当初の予想通りカマン・カレホユック遺跡の文化編年を補うヒッタイト帝国期の大遺跡であることが明らかとなりました。
中央アナトリアの考古学的一般調査
調査概要
1986年以来、カマン・カレホユックの発掘に平行して、中央アナトリアにおける考古学的一般調査(遺跡踏査)を継続しています。この調査では、未報告の遺跡を地図上に明示し、それぞれの遺跡の特徴をその形態、表採遺物から把握するとともに、カマン・カレホユックで出土している文化が、どの様な広がりをもって存在したかを確認することが、大きな目的です。これまでにクルシェヒル、クルックカレ、アンカラ、ヨズガット、ネヴシェヒル、アクサライ、ニーデ、カイセリ、コンヤの各県で、総計1500の遺丘、平地遺跡を踏査しました。
2007年度は、クルックカレ県ケスキン郡を中心に調査を継続しました。これまでの調査報告は、Anatolian Archaeological Studies 各号に掲載。